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私たちのふる里・落合


落合遺跡

現在の目白学園の敷地を中心に妙正寺川、神田川沿いには6000年から10000年以上前の縄文時代の遺跡が点在します。河岸段丘の高台で水害のおそれがなく、水が得られ、木の実や動植物に比較的恵まれた土地だったのでしょう。発掘された土器や石器は新宿区立歴史博物館に収蔵されています。八ヶ岳山麓でしか手に入らない黒曜石が出土したのも驚きですね。昭和29年の早稲田大学による発掘調査には後に目白学園の学長にもなられた滝口宏教授に招かれ、本校児童と落合二中の生徒が手伝いにいったそうです。なお、付近の御霊神社や葛が谷神社あたりからも石器等が出土しています。今、子ども達が元気に遊ぶ落合公園や西落合公園あたりでは縄文の時代も子ども達が遊んでいたのでしょうか。例年8月末には目白学園で遺跡フェスティバルが開かれます。勾玉つくりや縄文クッキーつくりが体験できますので是非のぞいてみてください。

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竪穴式住居

縄文土器


猫地蔵

西光山自性院の青梅街道に面した北の門の門柱の上に「招き猫」の石像があります。太田道灌と招き猫ゆかりの寺とのことです。毎年、2月3日の節分の日には「猫地蔵祭り」が開かれ、境内の秘仏が公開されます。午後2時半からは七福神行列、3時半から豆まき等も行われます。

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        招き猫

節分



林芙美子記念館

「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。」
小説「放浪記」や「めし」の作者、林芙美子が全国を転々とした末、昭和16年から26年に47歳で急逝するまで住み続けた邸宅です。緑濃い四の坂を下ったあたりに天をつく竹に囲まれた純和風8LDKの数寄屋造りです。貧しかった頃からの憧れ、文化村のはずれに家を建てるに当たり、芙美子は設計や調度にも細やかな工夫を凝らしたようです。当時は2階から、妙正寺川の対岸が望めたようです。現在は記念館になっており、「花の命は短くて」の色紙も飾られています。月曜休館で入場料が大人¥150です。
なお、毎年、命日の6月28日前後に内部の特別公開があります。申し込みが必要ですので、関心のある方は事前にホームページをご覧下さい。

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記念館入り口

                四の坂へ


目白文化村

大正11年に開発者「国土計画」が中井から中落合にかけて分譲した189区画の高級住宅地。当時としては画期的な完全な下水、地下埋設の電線、テニスコート、三角屋根とステンドグラス、石の門柱などが人気を呼び、最先端の生活様式の実業家、学者、政界人、高級官僚、文化人が多数移り住んだようです。残念ながら戦災で2/3が焼け、現存するお屋敷は少数です。

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                                    石橋湛山  記念会館


妙正寺川

杉並区妙正寺公園の池を水源に江古田川と合流して高田馬場付近で神田川に注ぐ全長9.7㎞の一級河川。落合の地名は二つの河川が合流する場所との説もあります。江戸時代は「落合蛍」とよばれる蛍狩りの名所だったそうです。
  かつては大雨のたびに氾濫しましたが、各地に調整池を設けて、改善されました。しかし、現在でも台風のときなどは水害を厳戒する必要があります。
  新宿の地場産業に「江戸小紋」「江戸更紗」など染め物がありますが、かつては川底の清流で洗っている風景が見られたのが懐かしく思い出されます。一時、水質が悪化しましたが、今日かなり改善されています。
  平成18年5月に、神田川ファンクラブの妙正寺川版が区の環境土木部 道と緑の課を中心に近隣の小学生を集めてスタートしました。妙正寺川の生態系や親水の環境作りを学べることでしょう。

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哲学堂公園

隣接する中野区松が丘にある緑豊かな公園。広大な敷地は52000㎡に及びます。春の桜は見事です。生活科見学で行ったり、併設幼稚園の子どもたちも遠足に出かけたりします。
  明治37年、井上圓了博士が、この地に精神修養の場として四聖堂を建設し、以後公園として都、続いて中野区が管理しています。釈迦、孔子、ソクラテス、カントの四聖を祀るだけに時空岡(じくうこう)、哲理門、六賢臺、唯心庭、唯物園、三擧亭、絶対城、宇宙館など瞑想にふけるのにふさわしい場所や建物が点在しています。ネットで検索するとそれぞれの詳しい説明が見られます。

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                                                           四聖堂