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いろはにほへと散りぬるを我が世誰ぞ常ならん有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず
牛込第一中学校校歌 | |
一. | 高きにありて 青空望む |
牛込よ わが学び舎 | |
明るき知恵を ここに汲み | |
教養深き 人とはならん | |
光よ夢よ あこがれよ | |
二. | 不二が嶺白く 朝虹さやか |
朗らなり わがはらから | |
すがしき生命 若草の | |
香りを高く 掲げてぞ伸びん | |
光よ夢よ あこがれよ | |
三. | 見よ見よ塔の 時計のしるべ |
撓みなし わがいそしみ | |
ひたすら心 つちかいて | |
民主の旗を かざして立たん | |
光よ夢よ あこがれよ |
<校歌制定のあらまし>
■ 都内で最も早く設置された校歌 ■
昭和29年に制定された校歌委嘱の際、大変興味深い逸話があります。
料理店を営んでいた山口要太郎さんがPTA会長を務められていたとき、
校歌を作ろうという話がもち上がりました。すると山口要太郎PTA会長から、
「それでは、私のお客さんに山田耕筰先生がいらっしゃるから頼んでみよう。」
ということになり、山田耕筰先生にお伺いしたところ、
「引き受けても良いが作詞は大木惇夫先生の詞が一番作曲しやすいなあ。」
とのことで大木先生に作詞をして頂くことになり、この名曲が生まることになりました。
山田耕筰先生と大木惇夫先生が牛込一中にいらして、校舎の中や周りを歩いて
目に留った情景からの印象などを校歌にしていただきました。
三番の歌詞に出てくる、
“見よ見よ塔の時計のしるべ”
という歌詞がありますが、あれは現在職員室にある校舎の屋上に上った時に、
早稲田大学大隈講堂の時計塔が見えた情景をうたったそうです。
校歌でありながら【牛込一中】という歌詞が一つも出てこない歌、校歌というよりも
牛込地域をうたった、まるで叙情詩のような歌詞です。
作詞作曲料は当時の金額で50万円だったそうですが、「とても払えません」
と申し上げると、「それでは5万円で 結構です、45万円寄付しましょう。」
と言ってくださり結局5万円で作詞作曲をしていただきました。
ここにも両先生の温かいお人柄がしのばれます。