江戸川小学校

江戸川小の歴史散歩③

牛込地区に坂が多いのはなぜ

 牛込地区を自転車で走ると坂の多さに閉口する。

 先日、用があって東戸山小まで自転車で出かけた。改めて坂の多さに驚いた。
 江戸川小から西に向かうと先ず赤城坂が現れる。この坂は、牛込地区でも1・2を争う急坂である。その昔、大雨のときには滝のように水が流れ、雪の日にはスキーもできたという。更に大昔、東京湾の海面が赤城坂下まできていたころは打ち寄せる波に浸食され、現在のように海面が後退した後も江戸川(神田川)によって浸食され続けてできた段丘面と思われる。
左手に折れて比較的緩やかな相生坂を登ってもよいのだが、ここは頑張って赤城坂を登ることにした。ゼイゼイと息が切れる。たまらず坂上の赤城神社でちょいと一休み。この赤城神社は牛込の地名と縁の深い大胡氏(後の牛込氏)と関係している。江戸時代は徳川家の庇護を受け、赤城明神として多くの庶民に親しまれてきた。今でも9月のお祭りではかなりの賑わいを見せている。
 赤城神社から矢来町方面へと平坦な牛込台地が続く。しかし、大久保通りへ出るためにまた下ってしまった。箪笥町付近の大久保通りの長い坂は、大久保通りが津久戸を通って江戸川に注いでいた川を利用して造られたためである。
 箪笥町の長い坂を登り切るとると市ヶ谷台地が広がり牛込警察署や市ヶ谷小学校へと続く。やれやれと思う間もなくまた牛込柳町の交差点に向かって一気に下る。最も下がった交差点のところが、加二川である。加二川は外苑東通りに沿って北上し、更に新宿山吹高校付近で戸山公園から流れてくる蟹川と合流し、更に東進して改代町、文京区関口を経て江戸川に注いでいる。もっとも今はほとんどが暗渠化され、窪みを眺めて想像でもしなければ川の存在に気付くこともない。
加二川への思いもそこそこに都営地下鉄大江戸線の牛込柳町駅から原町へと自転車を漕ぐ。なかなかきつい。登り切りると原町から戸山町にかけて平坦ではあるが、右手に早稲田方面に下る急坂が何本も続いているのが見える。

 

 

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