新宿区立江戸川小学校

江戸川小の歴史散歩④

牛込地区に坂が多いのはなぜ

 戸山団地の中程まで来ると右手に箱根山が見える。箱根山は、戦後の公設団地のお手本として造られた戸山ハイツの建設時に盛り土で造られた人造の山である。現在JR山手線の内側では最も高い山と言われているが本当だろうか。200mを越す高層ビルが何本も建つ現在、40数メートルで1番といってもあまり意味がないような気もするが・・・。
 大久保通りは箱根山を見ながらまたもや緩やかに下る。が、その前に戸山公園に立ち寄ってみた。箱根山があり、広いグラウンドがありと素敵な公園である。高台の集合住宅から公園へと一気に下る坂はなかなかにきつい。赤城坂のように、はっきりした段丘面は見えないが、明らかに川によって削られてできたと分かる傾斜面が両脇に続く。
 東戸山小は公園の谷間に沿って進めばよい。しかし、地形を確認するため、また大久保通りに戻った。
 大久保通りは、東戸山小学校付近に向かいまたゆっくりと下がっていく。右手に東戸山小が見える辺りが最も低い。この下を蟹川が流れているのだ。
 蟹川は西部新宿駅付近に発し、歌舞伎町の東端から大久保通りの地下を流れ、大江戸線東新宿付近から東戸山小学校そして戸山公園、早稲田大学文学部、大隈講堂付近と続く。そして鶴巻小学校付近を東進し、山吹高校付近で加二川と合流した後、文京区関口を経て江戸川に注いでいる。加二川と同様ほとんど暗渠化されているので川の流れを確認することはほとんどできない。
 蟹川を越えると坂はまた緩やかな上り坂となり明治通りまで続く。
 さて、江戸川小から東戸山小まで幾つの坂があっただろうか。牛込台地や市ヶ谷台地、原町や戸山の台地の一部は平坦ではあったが殆ど坂道の連続だった。さて、この坂道の原因は?。答えは、台地面から神田川(江戸川)に流れ下る加二川や蟹川に代表される何本もの川によって長い年月をかけ少しずつ台地を削り取りながら造った小規模な河岸段丘の連続と考える。次もめげずに自転車を漕いで確かめてみよう。

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