江戸時代からの古い歴史と伝統を引き継ぐまちを
校区としています。
古い街並みが地名にも残っています。
神楽坂、白銀町、揚場町などです。
津久戸小学校とまちのうつりかわりを、みてみましょう。
津久戸小学校は、明治37年にできました。初代校長先生は、光野豊吉先生です。
この写真は、初代校長先生と教職員です。
学校の裏側には、校長先生のお住まいと庭がありました。小鳥やうさぎが飼われていました。
池には、鯉(こい)も泳いでいました。
大正11年 全校朝会の様子です。服装は、はおりとはかまです。
ぜんぶで、1200人もいます。
明治、大正の頃の神楽坂の縁日はとてもにぎやかでした。
東京で縁日を開くようになったのは、「毘沙門」が、はじまりででした。
明治37年の毘沙門天(新宿と文学より)
大正12年の神楽坂
昭和8年 新校舎ができました。
近代的なコンクリート造りの校舎は当時は、とてもモダンで人々にとって、自慢のものでした。
新校舎ができたころから、戦争の足音がはげしくなり、昭和16年からは太平洋戦争が始まりました。
神楽坂は、米軍機の空襲で焼け野原になりました。昭和20年7月23日のことです。
戦争が激しくなった頃、学童疎開になりました。
栃木県の鹿沼というところで家族と離ればなれになって集団生活を送りました。