新型コロナウィルスの流行が始まってから、約3年がたちました。食事中の会話や頭を寄せ合ったグループ学習、全校が一堂に会する運動会など、なかなか実現が難しい状況です。これまであたりまえだったことができなくなると、そのありがたみを改めて感じます。
十数年前に家庭教育学級の講師の先生が「あたりまえ」を「ありがたい」と思うことの大切さについてお話をしてくださいました。そのときの対象は、子供たちと保護者の皆さんでした。
授業時間を活用して子供たちには、「家の人がしていること」を書き出してもらいました。「ご飯を作っている。」「外で働いている。」「洗濯や掃除をしている。」「休みの日に一緒にでかけてくれる。」「塾のお金を払つている。」など、いろいろな意見が出されました。その後、そのことをどう思うかを考えてもらいました。子供たちからは、「ご飯を作ったり洗濯をしたりするのは、親だからあたりまえだと思う。」「子供は働けないので、塾や習い事のお金は親が払うしかないと思う。」などしてもらっていることが「あたりまえ」なので、普段は特に意識していないという発言が多くありました。続いて、講師の先生からは次のような質問がありました。それは、「家の人がそれらのことを明日からしなくなったらどうでしょう。」というものでした。「ご飯をつくってくれなくなったとしたら・・・。」「外で働かなくなったら・・・。」「掃除や洗濯、お出かけ、塾や習い事の月謝の支払いなどがなくなったら・・・。」子供たちは真剣な顔になって、口々に「それは困る。」「生活できない。」「自分でするのはたいへん。」など毎日「あたりまえ」にしてもらって何も感じていなかったことに「ありがたみ」を感じ始めていました。放課後には家庭教育学級として、保護者の皆さんに対し、同じような質問を投げかけました。「お子さんがしていることを書き出してください。」すると、「ご飯を食べている。」「夕方、家に帰ってくる。」「友達とよく遊んでいる。」「スポーツを頑張っている。」などいろいろな姿が発表されました。そのことに対して、保護者の皆さんも特別何か感じている様子は見られませんで・した。そこで、子供たちと同様に、「もし、お子さんがそれらのことを明日からしなくなったらどうでしょう。」と投げかけました。保護者の皆さんからは、「ご飯を食べなくなったら心配。」「家に帰ってこなくなったらどうしよう。」「友達と遊ばなくなったら・・・。」「スポーツや習い事に行かなくなったら・・・。」など、そうなっては困ってしまうという意見が続きました。毎日「あたりまえ」に子供がしていると思っていたことが、実は「ありがたい」ことだということに気付いた瞬間でした。
その日の夕方、相手の存在のありがたさを感じた親子が家で再会するときは、これまでとは少し違った気持ちでお互いを大切にしようと思ったのではないでしょうか。
このことは、親子に限らず、その他の家族や親類、教職員と児童・保護者・地域の皆さん、職場の同僚、仲良くしている友達など様々な人と人とのつながりが、あたりまえのように思っていても、なくなると困ってしまうありがたいことと改めて感じます。時々周りの人を見渡して、そのように考えてみることで、お互いを大切にしようとする気持ちを思い出したいと思います。